3月31日は日本の朝鮮半島に対する政策や韓国国内での重要な出来事がいくつか記録されています。1920年には、日本政府が朝鮮笞刑令を廃止しました。この決断は当時の植民地統治下で人権擁護の重要性が認識されたことを示しています。
1949年になると、日本の対北朝鮮貿易禁止措置が始まりました。その後の国際情勢は一層複雑になっていきます。中国との関係では、1953年に中国が提案した朝鮮戦争休戦会談再開をアメリカ統領軍が受諾しました。
さらに1959年にはデンマークと国交樹立を行い、外交関係の多様化に繋がりました。一方で韓米間では通信技術の発展とともに、1969年に衛星中継による直通電話が開通しました。
また、1971年にはソウルと釜山間に自動電話サービスが導入され、韓国の情報通信インフラは大きく進化しました。そして1981年、国会の権限を代行する国家保衛立法会議が解散し、民主化の一歩を踏み出します。
1989年に総合株価指数が初めて1000ポイントを超えるなど、経済発展も目覚ましいものとなりました。さらに、1991年には南北韓の音楽家による和合音楽祭が東京で開催され、文化交流を促進する重要な一歩となりました。
2017年には、国政介入事件に関連して朴槿恵(パク・クネ)前大統領が逮捕されるという歴史的な出来事も起こりました。